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単純な道具・高校時代・無罪モラトリアム

# 単純な道具・高校時代・無罪モラトリアム


* 1999-01-01T00:00:00+09:00


## 単純な道具


複雑でごちゃごちゃしたものより単純なものが好きだった。


単純やシンプルを求めるのは大人であって、子供は意味のない仕掛けや凝った作りに心惹かれるものだと、誰が言ったかはともかく、自分でもそう思うが、結構私の場合は中学くらいには既にシンプルで単純なものに心惹かれていたと思う。


きっかけは定かではないが、これではないかという心当たりがある。


中学というと「方程式」が出てくるのである。もっとぶっちゃけた話が数学だ。


おそらく数学嫌いというのは、このページを見れるようなインターネットユーザーならともかく(別にインターネットユーザーって変な言葉じゃないよな?)、世の中に結構多い。


それで学校(授業)というものに挫折した人も多いのではないかと思う。


私も最初は「連立方程式が日常で何の役に立つのか?」といったことを考えて、数学をやることから逃げていたのだが、私の場合、そういう時期は意外と短かった。


「「概念」の概念を理解する」


数学とは仮定に仮定を重ねていくものなので、まあ、「これがこうだとするとこれはどうなるか」的に話が続いていく。つまり概念である。この概念というものを理解できないとすぐに挫折する。仮定といってもいい。つまり他人の仮定の話にうまく入り込めるかということだ。


ちょっと話がずれてきたけど、面白い話なんでちょっと続けます。


つまり、「1たす1は2だとする」と言われたとき、「誰かが決めた仮定にどうして従わなくちゃならないんだ」的な発想をしてしまうとどうしても挫折してしまうわけで、私もホントに最初の一時期だけその罠にはまりそうになった。納得できないのだ。


数学はその繰り返しである。誰かが決めた「これはこうだとすると」といわれるのである。それに「ハイハイ。これはこうなるとするのね。それで? それで?」と相手の仮定をいきなり飲み込む技術を身につけると、意外とその先は早い。少なくとも数学が苦手、とはならないはずである。


仮定とは想像力のちょっと難しい形で、「自分が女だったら」「男だったら」とか、「すごい金持ちだったら」といった想像は、まあ、本当はそっちの方が難しい気もするけど、仮定の話として相手の言いたいことはなんとなく分かる。


これが、「二乗すると負になる数字を虚数とする」だと、そりゃ分からんわな、と思うのである。少なくとも想像は追いつかない。つまり「自分が金持ちなところ」は想像出るが、虚数は想像するとはまた違う、仮定とか概念で、「とりあえずそうする」というものだからだ。


数学は机上の空論で、無邪気で罪がないから面白いのである。単純なのだ。つまり、「自分が金持ちだとすると」には「金持ちではない自分」というのがその裏にいるけど、「虚数が二乗しても負にならない」というのは別に考えなくていい。だって、「なるのが虚数」なのであって、実際にはそんな数字なんてない、というのは「それは虚数ではない」でぶった切ってまとめられちゃうからだ。


で、話を強引に戻すけど、十得ナイフより、シンプルなハサミとかそういうものに惹かれる。


私がいつも思うのは「兵器」である。これは人殺しの道具だ。だけど、それ以外の機能はまったくない。戦車というのは乗り心地が最悪らしいけど、乗り心地をよくしても人は殺せないから、たぶん、乗り心地が改善されることはあまりないだろうと思う。


戦艦なんかを見ると、私は「こんなにでっかくてハイテクが使われているのに、目的は人を殺すことなのね」と思ってしまう。兵器の不毛さというのは結構、不毛なだけに感慨深い。ごみ袋が、ただ捨てられるために作られているのと同じくらいなんか感慨深い。


分かってくれると嬉しいのだが、たとえば包丁とか、「切る」だけである。冷蔵庫を家庭のサーバーにするという考えもあるそうだけど、できれば冷蔵庫はただ冷やして欲しいと思う。


ところでコンピュータも電気信号処理のためだけの、まったく単純な道具だ。その正体は、0と1の羅列から別の0と1の羅列を出すという、なんだか不毛なものだ。いっつも思うけど、だったら始めから必要な0と1を出せよと思う。まあ、そういかないから「処理」するんだけど。


結構単純なものが好きという人は多いのではないかと思う。そして、そういう人だって別に大人になったから単純なものが好きになったというわけではないだろうと思うんだけど、まあ、その辺はちょっとよく分からない。


## 高校時代


「喜劇作家はクラスの人気者に嫉妬する」


たしか三谷幸喜の小説の解説辺りに載っていた言葉だ。


話をあくまで「高校時代」に限定して進めたいと思う。私の高校時代を述べることは、なんだか「エッセイ」でも「どうでもいい話」でもないような気がするからだ。そういうのは自己紹介のページを見て欲しい。ここで話すのは、私が思う、「高校時代というもの」である。


三谷幸喜は喜劇作家で、とても面白い脚本を書いている人だが、彼が高校時代に面白いことを言ってみんなを笑わせていたかというとそうではなく、多分、彼は教室の隅で、そんなクラスの人気者を見ていただけだろうと、これはその解説文の内容だ。そして、おそらく、クラスの人気者の冗談を聞きながら(片思いの女のコもその冗談で笑っていたかもしれない)、頭の中で、自分はもっと面白い冗談を言えるんだ、と過剰な自信で復讐に燃えていたのだろう、とこれも解説文。


「一体、高校時代とはなんだろう?」


「皆が言うほどそれほど素晴らしいものなのか?」「あの、映画や漫画や小説のような物語が、高校時代には本当に起こったのだろうか?」


私には起こらなかったが、みんなが青春を褒め称え、高校時代は素晴らしいという。誰も否定しない。否定している人でさえどこか楽しそうだ。


「しかし、役者をやらせてみたいのは、羨ましそうに人気者を見ている日陰者ではなく、まさにその人気者こそ舞台に上げたい。舞台に上がりたがるのは、クラスで人気者になれなかった人間ばかりだが、彼らは結局、舞台の上でそんな人気者を演じるのだ。そして人気者は舞台には上がろうとしない。彼らには、舞台に上がって見返す相手がいないからだ」


私が思うに、どっちにしろ、素晴らしい高校時代というのはまさにそのクラスの人気者にだけ起こるもので、みんなが素晴らしいと褒め称える高校時代はそんな彼らの「おこぼれ」なのではないかと思う。


なんだか夢も希望もない話だ。


喜劇作家の高校時代は、クラスの人気者に嫉妬して、見返そうとする情念を蓄えるためだけの季節だ。それを指して、本当に素晴らしい時代だったとは言えないだろう。それは、現在喜劇作家になったから言えることだ(あ、引用した文は三谷幸喜本人の解説ではなく、別の人の解説です)。「高校時代は素晴らしい」だって、その人が素晴らしい高校時代を送ったというより、送っていた人を、多分、羨ましそうに見ていたのではないかと思う。本当のクラスの人気者は、多分、「高校時代は素晴らしい」だの「高校時代は悔いのないように」だのといった言葉は吐かないのではないかと思う。彼らにとって高校時代はそれが当たり前で、羨ましそうに見ている視線に気づかないか、気づいても、結局、そういう視線は自分にとって関係のないものだったに違いない。私の高校時代は本当に忘れてしまいたいくらい虚無的な時代だったのだけど、もしかしたらそれを羨ましそうに見ていた、もっと冴えない奴がいたのかもしれない。そして、私を見返そうとしていたのかもしれない。


下には下がいる。悲劇に酔うのも程度の問題だ。


しかし、上には上がいる。素晴らしい高校時代は、そういう実は限られた人しか送ることのできない貴重な時間なのである。


## 無罪モラトリアム


モラトリアムと呼ばれる時期、子供から大人になる準備期間、は昔は高校時代だったそうだが、今は大抵、大学時代のようだ。


モラトリアムの時期はだんだん後ろに延びてきて、二十代はそろそろすべてモラトリアムにならんとしている。これは別に大学生に限った話ではなく、中卒高卒で就職していても、やっぱり二十代がモラトリアムになっていると思う。


私も二十代は典型的なモラトリアムで、多分、今でもモラトリアムだと思う。


高校時代の悶々とした感情をテーマにした小説や漫画、映画は多い。それしか作らない人もいる。当たり前だけど、一つの充実感であり、生きているという実感がそういう悩みの中にあるのだ。


二十代のモラトリアムに「生きている実感」があるだろうか?


結論から言うと、ある。


二十代のモラトリアムはやっぱり、その頃の悩みなんかを中心に据えた一つのジャンルとして成り立っている。それしか作らない人だっているのだ。


二十代の悩みを中心に据えた物語は私が思うに、ここ何年かヒットしている。十代の悩みより二十代の悩みの方がよく扱われる。別に私が二十代だからということではないと思う。昔、高校時代の悩みを取り上げた時代があり、その前には二十代の悩みを取り上げた時代があったのだ。……といっても安保闘争など私にはどこ吹く風だし、その時代を生きてきた人が、どのような感想を抱いたのか私は正確に知りようがない。


けど、二十代の悩みなど、結局、女(異性)の悩みなのだ。


私はたまに日記をつけているが、書いてあるのは常に女のことである。まったく、ほかにないのかと言いたい。


女の話が結局、抽象的な概念に入り込んでどこかに行ってしまうというものである。本人は真剣だ。下手に頭がよくなっていて、しかも簡単に結論が出せないのだから始末が悪い。


「自分は彼女のことが好きなのだろうか?」


「一体、自分は何がやりたいんだろう?」


「あるいは、何かをやりたいと思っているのだろうか?」


もちろん、私もそういう、悩み苦悩する側の人間だが、ここで安易に「そういう悩みは年代に関係なく訪れる危機(クライシス)なのだよ」とかいうのもちょっとどうかと思う。


話はずれるが、こういうので面白いものを書く作家の一人に山本直樹がいる。「はっぱ64」という漫画で、主人公がラジオの相談コーナーに電話するシーンがある。ちょっと引用しよう。主人公は双子の姉妹のどっちが好きかで悩んでいる。


> 「するとそのフィアンセとケンカ別れしてしまったと。」

「ええ、売り言葉に買い言葉というか……ガーピー」

「あ、お近くのラジオのボリューム低くしてもらえませんか?」

「だから売り言葉に買い言葉と……カチ…」

「ええ、わかります、わかります。」

「ただ問題は……相手が二人だということなんですよ。」

「は…ああっ、三角関係というやつですね、わかります、わかりますよ。」

「それが同じようで、違うようで、実は表と裏なんです。」「わかります?」

「え、ええ、もちろん……」

「じゃあ同じならどちらに決めてもそれでいいということになるから……」

「え、ええ、なります、なります。」

「でも、違うんです。」

「はあ?」

「だからあ、どっちでもいいってことは、どっちでもだめってことで。」

「…………」

「自分があやふやで……こんなラジオの人生相談なんかに頼ろうとする自分が情けなくて……」

「ほ、ほんとにそーだね。」

「結局、僕は、逃げてるんです。」「逃げ道なんてないことはわかってんだけど…」「けんか別れの原因も結局それがいけないんです。」「聞いてるんですか?」

「あ、は、い、いや、そ、そーゆーのって、あ、あるよね。」

「結局 僕はどうすればいいんでしょう?」

「そ、それは や、やっぱり考えるに、ま、前向きにさ、い、いろいろあるだろーけど……勇気をさ……」

「ありがとうございました。」

「あ、いえ、あ、こ、こちらこそ、ど、どーも…………」



ちょっと長い引用だったが、勝手にしてくれという感じが伝わっただろうか?


山本直樹のラブコメにはこういうシーンが多い。そして親だったり幽霊だったり、経験豊富な先達達は常にこういうのである。


「悩め、若者。たとえどうにもならないとしてもだ」


……ホントに意味のない助言だ。


山本直樹は大学時代のモラトリアムを、多分、時代的にも否定されない時代に送ったのだと思う。あるいは逆に、身の回りには説教くさい人間しかいなかったのかもしれない。


話はずれるが、そろそろ援助交際してきた女子高生や、それを見ていた男子高生が、何かを作り出してメディアに顔を出してくる頃だと思う。あれだけ周りが騒いで、社会現象にまでなったのだから、絶対に何かを感じた人間がいるはずである。「みんながやっているから」だけでは済ませられない感情を抱えた人間が、「表現」を始める頃だ。楽しみである。


話を戻してモラトリアムだ。結局、あまり言えることは何もない。


「悩め、若者。たとえどうにもならないとしてもだ」


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